−工房の活動−
“和 う る し”と は


香川県高松市五色台で育つ“阿波うるし”の苗。
「今まで“うるしを植える”といえば岩手県の苗が
主流でした。でも、この四国で育てるなら四国のう
るしが一番です」と松本さん。気候が異なると生育
の様子も違ってくるそうです。

 

日本人にとって「うるし」は身近な存在です。どの家庭の台所にも、ひとつぐらいは必ず漆器がありますし、お店などで手に触れる機会も多いはず。だから私達はうるしについてよく知っていると思っています。しかし、そうした現物や情報がたくさんあるにも関わらず、うるしの本当の姿や実態は実はあまり知られていない…松本さんと宮崎さんに出会って私はその事に気づきました。
ここでの「和うるし」についての話は、実際に日本の各産地をまわって自分でうるしの木を育て、採り、そして各自の作品を作っている工房の2人の、現時点での見解に基づくものです。

もしかしたら、皆さんが持っているうるしについての考えとは異なるかもしれません。また、2人が今後新たな発見を得て、将来見解がかわってくるかもしれません。それを踏まえた上で読んでみて下さい。



■和うるしとは

日本のウルシノキから、“うるし掻き”という技術で採取されたうるし樹液のことです。日本最大の樹液産地は岩手県浄法寺町。このうるし樹液を使い、うるしの工芸品ができますが、現在日本で塗り物などに消費される“うるし”の99%以上は、実は日本産より安価で品質も劣る中国からの輸入うるしなのだそうです(もしくは“うるし”ではなく、化学塗料が主流になっている)。
2人の話を聞くまで私は、お店で「漆器」として売られていれば、それは当然100%本物の日本のうるしで塗られているものと思い込んでいました。多分、私以外の大半の人もそう思っているはずです。日本古来からの伝統として受け継がれてきたはずの漆芸に、もはや日本のうるしが使われていないと聞くと、なんだか不思議な気持ちがしませんか?
本物の日本のうるし“和うるし”は、一体どこに行ってしまったのでしょう。


■歴史に消えた和うるし

話は江戸時代に遡ります。当時幕府はうるしの木を課税対象にし、藩で管理させることを決めました。つまり、うるしの木を植える事によって税収を増やしたのです。これにより、什器への使用が中心だった江戸時代以前のうるし文化に換わり、生活全般にうるし塗装を試みる動きが広がりました。しかし急激に需要が増えたため、当然国内のうるし樹液は不足に。それを補う為に、主に中国などからのうるし樹液の輸入が増え始めました。
ところが明治維新により幕府が倒れると、うるしの客層が大きく様変わりします。それまでは幕府や貴族・豪商といった人々がうるし文化を買い支えていましたが、明治政府以降は一般庶民へと拡大。その客層に伴って、今まで問われなかったコストパフォーマンスの向上が必要となったのです。そのため、うるし製品の外観だけは以前の形態を踏襲しつつ、下地など見えない部分を安い材料に置き換える試みが一気に始まりました。

それまで、漆器は堅牢でした。しかしこの頃から、見た目には変わらないのに簡単に壊れるものが大量に世に出回ったのです。この後、漆器は壊れやすいものの代表として、扱いづらく高価すぎるというイメージが一般に定着しました。

江戸時代以降の職人は藩のお抱えから離れ、新たな販売ルートを持つ商人のシステムに組み込まれます。そして近代のうるし文化は、江戸倒幕と昭和の敗戦という二度にわたる時代の荒波に晒された結果、その激しい変化に対応するための合理化とコストダウンという手法に流れ、古来から守り続けてきた伝統の漆工芸からは少しずつ離れていく道を辿ることとなりました。
職人は、師匠の技術・形態など全て踏襲するのを美徳とします。だからこの時代以降、師匠から仕事を引き継いだ職人達は、始祖の原理原則から離れてしまっている現実に気付かないまま、現代に至っているのです。


■うるしの木とは

ウルシノキは、東洋(中国・日本・韓国・ベトナム等)に分布するウルシ科の落葉樹。日本では縄文時代から栽培され、塗料・接着剤として使われてきました。数十年前までは日本各地の里山に植えられていましたが、現在ではそのほとんどが姿を消してしまっています。
山で自生して秋に紅葉し、触れるとかぶれる木をすべて、私達は漠然と「うるしの木」だと思っていますが、そうした「ハゼ」や「ヌルデ」などの木は、ここで取り上げているウルシノキとは別のもの。樹液を出す本当のウルシノキはほとんど紅葉せず(まだらの黄葉)、「ハゼ」「ヌルデ」と比較するとかぶれにくいのが特徴です。また、産地で代々人の手によって伝承されることが多く、自然自生することはほとんどありません。


■日本最大のうるし樹液産地、岩手県

日本産うるしを語る際に欠かせないのが、岩手県二戸郡浄法寺町。漆工芸をしている人でも知る人の少ない、昔ながらの小さな田舎町です。瀬戸内寂聴さんが住職を務める“天台寺”がある町、といえば覚えのある方もいるかもしれませんね。ここは古くからのうるし樹液産地で、なんとその歴史は縄文時代にまでさかのぼる事ができるそうです。
元々わずかな日本産うるしの産出のうち、そのほとんどがここで採取されます。今なお漆掻き職人のおじいちゃん達が生き生きと、同業の仲間と切磋琢磨しながら自慢の「浄法寺産うるし」を採り、毎年苗を育てています。ここも他の第一次産業と同じく高齢化が進み、職歴50年以上という恐るべきベテランがいたりするのです。しかし、これらのおじいちゃん達がどんなに頑張っても1人が一夏で採るうるしは100Lくらい。若い後継者も極端に少なく「漆掻きを続けたい」と思う若者がいても、現在の日本という国自体に「日本産うるし」を評価するカルチャーがないため、漆掻きでは生活がしにくいというのが現状です。

松本和明さんは、この浄法寺町で約半年間滞在し、3人の師匠について漆掻き技術の基本とそれぞれの流儀をしっかり吸収しました。


松本和明さんが漆掻き研修中、テレビ局が日本うるし掻き技術保存
会取材に。松本さんの研修畑で漆掻きの撮影が行われました。中央
が松本さん。保存会の会長、担当者、同期の研修生、そしてタレン
トさんと一緒に。


広々と広がる、たばこ畑や田んぼ。その田畑の境界に見事なうるし
の木がずらりと育っています。ほんのひと昔前まではこんな光景が
日本各地で見られたとか。浄法寺町はまだ日常にその文化がかろう
じて残っています。(右下に、漆掻き職人さんの仕事中の姿が写っ
ています)


松本さんのうるし掻きの師匠、大森俊三さん。なんと12才の頃から
この仕事をしている超ベテランで、非常にハイクオリティーなうる
しを採ります。工房では大森さんのうるしも仕事に欠かせません。

 

余談ですが、この町は当時コンビニといえば夜9時に閉まるような店が駅前に1軒きり。見渡す限り田んぼと山で、秋の稲穂の黄金色、独特の積み穂のシルエットが秋の陽の長い影を落とすさまは「陳腐な表現かもしれないけど、まるで日本昔ばなしのように懐かしい」そうです。宮崎さんが浄法寺町に行った時も、町の人たちが話している言葉が聞き取れず、苦労したとか。しかし、一緒にお酒を飲んだ漆掻きさん同士の会話を聞いて「あっ、今まで気を使って話してくれてたんだ」とわかり、ちょっぴり異国に迷いこんだ気分になったそうです。


■中国産うるしのヒミツ

中国産うるしは大陸のたいへん広い範囲で、さまざまな方法で採取されます。日本産うるしとの一番の違いは、やはり価格。一般的な販売価格は日本産うるしの約8〜10分の1で、たいへん安価です。
しかし、もちろん良いことばかりではありません。中国産うるしは日本に輸入された時点で腐敗臭のするものが大多数を占めます。大陸までうるしを仕入れに行った方の証言によると、現地で見た時点では腐敗臭がなかったということから、採取方法と流通に問題があるのではと思えます。このうるしを使って塗ると、当然ながら腐敗臭のある器が出来るわけですが…皆さんのお家にある漆器はどうですか?
最近、中国の生うるし生産関係者が、日本のうるし樹液の視察に岩手県浄法寺町を訪れたという話ですが、もしかすると日本の消費者を意識した日本輸出用のうるしを特別に生産しようと計画が進んでいるのかもしれないですね。


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